君が生きた証
ここ最近人が死ぬアニメしか見てない………。とヴァルヴレイヴを見終わった直後の消化しきれないもやもやを抱えながら、機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ二期1クールを振り返る。
力無き子供たちの搾取は、未だ続く。(本編26話冒頭より)
ビスケット達の墓石の前で決意を新たにするオルガと三日月さん。火星に帰るまでに散った仲間、犠牲にした身体は元には戻らないけれど、それでも確実に火星と地球は鉄華団の少年兵達を巻き込み、その変化を加速させていった。
二期序盤にスポットを当てられたのは、元参番隊の中では古参組になりつつあるタカキ・ウノと元ヒューマン・デブリのアストン・アルトランド。
ちょうど現代でいえば中学〜高校の狭間にいる少年2人が、「子どもがどれだけ無力な存在か」を、ひとつの、大きな歴史からみれば名すら与えられない戦争で知ることになる。
アストンは元々敵側に買われていたデブリで、共に生きてきたヒューマン・デブリの仲間達を鉄華団に殺された過去を持っており、タカキはその一戦でアストンの仲間に瀕死の重症を負わされた。
そんな2人が地球で仕事をする中で距離を縮め、友情を育んでいく。
ヒューマン・デブリという言葉は訳すと人間の屑(ゴミ)なんですよね。戦争の中で人権を奪われ商品として破格の値段で売買され、暴力と死の恐怖に怯える毎日。けれど一度闘いが始まれば最前線に立ち命を投げ出して戦わなければいけない。
「愛し方を知る前に戦い方を覚えた(僕じゃない/angela)」じゃないけど、「ただ生きていく」という幸せすらない場所でひたすら心を凍らせて生きてきたアストンにとって、鉄華団やタカキの存在はこれまでの全てを受け止めてくれるだけでなく、希望を与えるものだった。
「俺はお前らの幸せを守るためだったらなんだってする。俺にできるのは殺したり、お前を守って死ぬくらいだけど」
生きたい、という夢をくれたタカキとその妹に向けてアストンがこの言葉を口にした時、彼を押し潰していた闇がどれだけの深さでどれだけ歪だったのかを知った。
幸せというものは誰かの命の上に成り立つものではないことを知らない少年は、それからまもなく大切な友人を守って命を落とした。
いつ死んでもいいと凍っていた心から、護りたいと思う存在ができ、生きたいという希望が生まれ、散って行った。
小さな戦争だった。けれどそれは確実に2人の少年の人生を変えてしまった。
戦いの場ではない会議室で、「ケジメ」として裏切り者を拳銃の標的にしたタカキの手は一生穢れたままで、どんなに嘆いてもアストンは戻って来ない。
「家族」を護るために走り続ける鉄華団から「家族」を護るために降りたタカキ。「家族」を喪いながらも、再びその温かさに触れ、生きる幸せとそれを喪う恐怖(悲しい…)を知ったアストン。
まだこれから青い時代のまっただ中を駆けていくはずの少年達が武器を持って生死の最前線で戦っている。
それがこの時代の、力を持たない子供が生きる証なんだろう。
正直鉄華団を降りたタカキが幸せなのかはわからないし、じゃあ鉄華団が進む道の先に彼らの居場所があるかもわからない。
でも生きたいと思わせてくれた友の存在は、いつの時代もかけがえのないものだって、君たちが教えてくれた。
自分の中でアストンとタカキの一件って実は大きなことなんじゃないかと思っていて。
それまで団員をまとめあげて来たオルガの鉄華団=家族のような存在というユートピア理論をタカキが妹という家族を護るために鉄華団を降りることによって初めて否定して、それをオルガが受け入れたんですよね。(ビスケットの件は結局うやむやになったので置いておくとして)
鉄華団(=家族)の居場所をつかむために走り続ける、ってそれこそ遠い桃源郷を目指してるものだよなとたまに考えては泣きたくなる。
家族という存在を教えてくれたオルガの兄貴分は、もういません。