ドリームカムトゥルーを待ちながら

あかにしくんとアニメとキスマイとか雑多に。

アイドルという夢から覚めて。

 

Résumé(履歴書)という名のもと代々木で開催された2日間のイベントは、たくさんのサイリウムの光に見送られながら幕を閉じた。
今までの彼なら吐露することのなかった心情も見え、感慨深くなるところもあったのでメモ程度に記しておく。

「この辺りからちょっとおかしくなっちゃったんだよね」と冗談交じりにあかにしくんが挙げたのは、A page。
カツン在籍最後のシングルに入ったその曲は、まだ25歳のアイドルが紡ぐにはキラキラとは程遠い、人を寄せ付けない、強張った行き場のない思いばかり溢れていた。
当時の私には、これまで最強無敵のアイドルとして君臨していたあかにしくんのひた隠しにされていた生身の彼を見せつけられた気がして、少しこわかったのを何となく覚えている。
数年ぶりに聞いたA pageは今だからこそ思うけど、アイドルとして生きてきた彼のSOSであり、遺書のようだった。
アイドルは人に夢を見せる仕事でもあるけれど、同時に自分自身が夢を見る仕事でもあって。きっとあかにしくんはその夢から覚めてしまったんだと。
キラキラの衣装を脱ぎ捨てたあかにしくんは、あの頃ステージの端っこ、もうそこから降りてしまうんじゃないかというとこにいるように感じた。

あれから7年(!)経ち、何やかんやあり、今でもあかにしくんは私達の前で歌ってくれる。
あの頃のあかにしくんなら決して明かさなかったであろう当時の心境をポロッと零してくれたのは、それなりに信頼してもらえていると思っていいん…ですよね……とちょっと泣いた。
あの頃の自分をこれも自分の人生、履歴書の一部だと認めるあかにしくんは、ずっとずっとキラキラして柔らかく笑うようになっていた。

 

少クラでcareを初めて聴いた時の言いようのない感情の波は今でも身体の中に残っている。
きっとこの人のことをずっと好きでいるんだなと思った半年後に銀髪になったり病んだり…何やかんやあり(2回目)、私がそう思った当時のあかにしくんとは中身も外見も大分変わってしまったと思う。
でもcareを歌うあかにしくんを根底に、グループにいた頃もソロになってからも、彼を追いかけて見えた景色はどれも大切で、それはその瞬間のあかにしくんだからこそ見せてくれたもので。
変わってしまった部分もあるけれど、見せられた景色の分だけ降り積もった揺るぎようのない好きもある。どのあかにしくんも否定なんてできないと思った。

 

屈託なく笑い、大人に守られた楽園で夢を見ていた頃。夢を語らなくなった頃。そして今。

Résuméで歌う曲のひとつひとつに当時のあかにしくんの想いの断片が見え隠れした。昔の曲を歌うことで過去の自分の葛藤も孤独も苦しさも肯定してあげている気さえした。

 

紙吹雪が舞う天井を見上げて、降り注ぐ新曲のyesterdayを全身に受けて。ああ幸せだと思った。
花道を歩きながらメインステへ帰って行くあかにしくんのこれから先が、こんな幸福に満ちていますようにと祈った。

 

アイドルという夢から覚めた人は、アイドルではなく一人の人間として、赤西仁として、あの時以上のキラキラした夢を今も見せてくれている。